DONZOKO

秘境へようこそ

腹痛との戦い

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大学1回生の頃、友人が彼女のことで愚痴らしきものを言っていた。彼女は料理好きで、よく料理を作ってくれるらしいのだが、友人はそれがしんどいときがあると。「朝起きたらご飯が多めに用意されててさ、まあ有り難いし、いらないって言うのも申し訳ないから食うんだけど、お腹びっくりしちゃうんだよね」とのこと。

 
当時は「お腹がびっくりする」という感覚が分からなかった。要は胃腸が急につめこまれた食べ物に対処しきれず、ブリブリしてしまいそうになるということなんだろうが、そんな頻繁になるもんか?と思った。夏場に冷えたものを食い過ぎて下痢になることはあるけど。というかそんな贅沢な暮らししといてウ〇コよろしくブリブリ文句たれんじゃねーよ、絶交するぞ、とも思った。


ところが最近、腹がよく壊れるようになった。友人、といってもめっきり会うことはなくなってしまったのだが、彼の言っていたことが今ではよく分かる。俺のお腹もびっくりしちゃう。ごめんね、あんなこと思って。まあ彼女はいないんだけどさ。


1年前にはドカ食いしまくり、結果太ったために、ダイエットを決行した。2、3ヵ月で7~8kgの減量に成功し、現在も体重をキープできている。というか太ったときの食生活が異常だったために、一旦痩せてしまえば、あとは普通の食生活を送るだけで体重はキープできる。胃袋が今の食生活に適応して小さくなったのか、少ない量で満足できるようになった。

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 しかし、深夜にコンビニ弁当2つを毎日平らげていた頃の習性がたまに顔を出すことがある。とりあえず大盛を頼んでしまうとか。そんなに腹が減っていないのに食べる衝動に駆られてしまうとか。そういうときに大概腹を壊す。


元々、食べるスピードが平均より早い。以前より小さくなった胃袋に猛スピードで食い物が注ぎ込まれる。そしてびっくりする。お腹が。単に食いすぎの場合は、痛いというより苦しいという感覚だ。太田胃散をザーッと流し込んで、しばらく大人しくしておけば大体治る。


が、胃で消化された食い物が腸に下りてきたときに問題が起きる場合がある。胃が張詰めてパンパンのときとは違う、あの痛み。見えざる手が腸をギュウッと絞っているような感覚。アダムスミスが言うように、この神の見えざる手によってブリブリが促され、消化系という名の市場が正常な状態に戻ると言えばそうなのだが、なんとも苦痛な時間である。


以前はこうした腹痛に見舞われても、胸を張ってトイレまでズンズンと歩き、便座の前で5秒くらい仁王立ちをしてから「フンッ」とやれば事が済んでいた。ものの3分もかからなかった。人々はそんな俺を見て、「大便大将」とか、「韋駄天排便」とか、「プーマスター」とか、畏敬を込めてそういう呼び方をしていた。嘘だ。


最近は長期戦になりがちだ。食いすぎによる胃の膨張が治まり、フウとひと息をついているところにゴッドハンドが来襲する。「あーこれ来たね、来たねこれ」と思いつつ、その場でなんとかやり過ごせないか画策する。画策といっても丸まってジッとしているだけだ。ダンゴシムだかアルマジロだかのように大人しく丸まった人間を嘲笑うかのように、偉大な何かが内蔵を揺らしにかかる。下腹部から内臓をふぉんふぉんと押し上げるようにした後に、今度は全方位から、内臓全体をまるでおにぎりを握るようにして気持ち優しめに圧迫する。この優しさが実に不快である。優しくしたところで、その対象は我が臓物であるから、生命を弄ばれているような感覚に陥る。悪意のある優しさだ。


「ねぇかみさま、おねがいもうやめて、わたしをくるしめないで」と幼女じみた声音で虚空に語り掛ける。俺が本物の幼女であったならば、流石の神も悪いことをしたなと思い、腹痛を抑えるどころか全身の老廃物を消し去って、神界由来の浄化された空気を全細胞に吹き込み、幼女はハイパー幼女になって全世界を幸せにし、戦争はなくなるだろう。実際は汚い部屋の片隅で埃と共に暮らしている、無精ヒゲだらけの萎びた男なので、幼女の真似事をした場合、神はお怒りになって痛みは一層激しくなる。


怒りに燃えた神が本気を出す。大腸をまるで雑巾のように絞り上げる。ねじきれそうな痛みだ。こうなったらもうアルマジロごっこをしている場合ではないので、適当な文庫本を片手に、トイレに駆け込む。大便大将時代のような威厳はそこには感じられない。敗残兵のように情けない姿で便座に座る。

 
ここからが困った話だ。トイレに入った瞬間に痛みがフッと消えてしまうのだ。拍子抜けする。しばらく座っていればまた痛くなるかな、と思って本を読む。トイレの照明の関係で、前かがみになりながら本を読むと、自分の頭が影として文字の上に落ち、読みづらいことこの上ない。というかトイレが狭すぎるせいで、前に屈むとドアに接触してしまい、これまた落ち着いて読むことができない。かといって茶道のように背筋を伸ばして便座に座るのもなんだかなあ、とか考えて、結果ドアを開けて廊下から光を採り込むことになる。そんなことをしているうちにすっかり痛みは消え去っていることに気付き、自分がプーをしているのか本を読んでいるのか分からなくなる。

 
「全く迷惑な神さんだぜ」と呟きながらトイレをでて、机の前でゆっくり本を読み始める。するとどうだ、2分もたたない内にまた腹がキリリと痛み始めるではないか。「んだこのメンヘラみたいな腹は!」とキレてしまいそうになるが、腹を立てても腹の痛みは治まらない。この現象は有識者の間で「腹腔内における形而上・下の諸問題の兼ね合いの不可性質」として議論されている。嘘だ。

 
またも激烈な痛みに襲われ、ベヘリットのような顔をしながらトイレに駆け込む。ゴッドハンドが降臨して、蝕の儀が執り行われる。「あのう、すいません、僕には取り立てて捧げるものがないんですが」と申し立てると、5人の天使たちは怒りと呆れに満ちた表情になり、腹の痛みが最高にまで引き上げられる。

 

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このままでは内臓をセルフ犠牲にして使途になり果ててしまいそうなので、Youtubeを開いてヒーリングミュージックの類いを流す。

 

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映画『ファイトクラブ』のタイラー・ダーデンの如く、「死病にかかった人間のマネはやめろ!」と神が俺を一喝するようなことは起こらなかった。ほんとにヒーリングされてしまい、痛みと共に便意も消える。α波をBGMに、半泣きになった男がみずぼらしく便座に鎮座!イエ!と、ヒップホップをやってしまいそうになるが、我慢して本来の目的を思い出そう。

 
そう、プーをしにきたのだ。出そうにないからといって、トイレを出てしまうと、またも神に弄ばれて苦痛に苛まれるので、いっそここでカタを付けてしまった方が楽だ。腹痛に対して音楽が意外な効果を持つことが分かったので、今度は便意を促すような曲をかける。

 

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今度はてんで効果がない。痛みの波が来る気配もない。さっきまでは泣きながら「いたくしないで、おねがい」とか言っていたのに、今度は痛みを切望している。あれ?俺自身がメンヘラじゃない? 仕方ないからまた出てしまおうか、いや待て、この曲を聞いてトイレを出たら、マシンガンを持ったブルースウィルスに射殺されたりしないだろうか、とか悶々と考える。まあ結局出るんだけど。

 
そしてまたすぐ痛みに襲われて、以下ループ。神との戦争終結までにいつも90分ほど要する。安寧の日々はいつ帰ってくるのだろう。ニーチェはこういう過程を経てルサンチマン思想にたどり着いたのだろうか。とか考えたりしたが、暴飲暴食をやめればいい話だ。明日から腹6分目くらいに抑えていくことにする。