DONZOKO

秘境へようこそ

ベランダ文明

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ベランダにモノを置きがちである。モノというか大半がゴミだ。押し付けられたBBQコンロ、部屋に置いておくには邪魔だか解体するのが面倒なAmazonのダンボール、月曜と木曜に出し損ねた燃えるゴミ、etc。最もひどいときには、金持ちの友人から強制的に送り付けられた体長3mあまりの熊のぬいぐるみの生首が外から見え隠れしており、あわや通報されるところだった。別にアブない趣味があるわけではなく、やんごとなき理由で熊を解体したのだ。1年ほどこの熊と同棲生活を送ったが、就寝スペースが侵略され、心身ともに悪影響が出た。硬い床で寝るので身体が軋む。熊は首がすわっておらず、ぐったりと部屋の中央に鎮座し、陰気な空気を放ちまくっている。同じ空間にいると我が精神が内側に陥没し、錯乱状態になりかけた。もうキミとは一緒に棲めないということで、カラダの綿を抜かせてもらった。

 

You make me feel so bad. 二度と会いたくない 貴様も同じこと思っとろう、である。

 

 

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そんな訳で我がベランダはこの世の混沌を凝縮したような光景であることが多かった。過去形である。今は掃除したので通常の範囲内である。掃除については後述する。

 

数ヵ月前に、「今更きけない洗濯の基本」とかいう本を買った。洗濯というといつも特売品の安い洗剤を入れて回すだけだった。たまに気分で柔軟剤を入れる程度だ。本には服の種類や素材ごとに適した洗濯方法・洗剤の選び方や、やっかいな汚れの落とし方などが書いてあり、それではいっちょ試してみようということに当然なった。

 

少しだけだが凝ってみると洗濯は楽しい。特に白のオックスフォードシャツなんかは本を読む前より断然きれいに洗濯できるようになった。柄・色物はちゃんとエマールで洗うという面倒すらも楽しく思えてくる。

 

意気揚々と洗濯機から服やらタオルやら靴下やらを取り出し、干す。ベランダに。そう、ベランダを掃除しようと思い立ったのは洗濯に凝りだしたのが理由だ。ちょっとこだわって洗濯したものを、混沌極まる種々雑多なオブジェクト、もといゴミの上に干すのは少々気が引けた。別に臭いが移るとか、汚れがついてしまうという訳ではなかったのだが、精神衛生上よろしくない。

 

そんなこんなで、この部屋に越してから3年、ろくに掃除していなかったベランダの大掃除というプロジェクトが始動した。(ちなみに、流石に生ごみを放置したりはしないので、異臭がするわけではない。別にお隣さんから苦情がくることもなかった。ただ、自分に見える範囲、ついたてで仕切られた我が領域であるところのベランダがひたすらに散らかっているだけである。)

 

ふむ。とりあえずこのでかいダンボールから処分するとしよう。いつから放置してたっけな。覚えてすらいない。ダンボールを持ち上げ、、、持ち上がらない! なんということか、悠久の時を経てダンボールは風化され尽くし、手で掴んだ箇所がイギリス風のビスケットのごとく粉々になり、室外機の風に吹かれて霧散した。ゾッとしながらダンボールに貼られた通販の伝票を確認する。

 

「コス レ ス イダー マ 」

 

文字が日焼けしてよく見えないが思い出した。1回生のときに部活でコスプレをしたときのスパイダーマンの全身タイツだ。3年間もこのクソでかいダンボールをここに放置していたということになる。「悠久」と表現するには短すぎるが、ダンボールの風化には十分な期間だったということか。ちなみに宮崎県の雲海酒造が「那由多の刻」という蕎麦焼酎を出しているが、焼酎の熟成期間は長くて3年とかだった気がする。大ウソつきである。味はとっても美味しいので是非飲んでいただきたい。

 

砕け散りまくるダンボールと格闘し、なんとか処分した。すると下から現れたのは律儀にも「ペットボトル用」のゴミ袋に入れられたペットボトル達。あぁ、これも3年モノだ。わざわざゴミ袋に詰めた上で何故放置しているのかという話になる。ゴミの分別に関してISHIKIの高かった1回生の私は、燃えるゴミ、燃えないゴミ、ペットボトルとしっかり専用のゴミ袋にそれぞれ分別していた。そして指定の曜日の朝にペットボトルが詰まったゴミ袋をアパート前のゴミ捨て場に捨てる。大学での講義を終え、夕方に帰宅した私の目に飛び込んできたのは、共同廊下に置かれた、他でもない今朝捨てたペットボトルだった。注意書きらしき紙が貼られていた。「あれ、曜日間違えたか」と思いながら注意書きを読む。

「ここにはゴミ収集車がペットボトルのゴミ袋を回収しにこないので、捨てないでください。」

と、書かれていた。は?いやなんでやねん。回収しに来いよ。いま思えば初めて「なんでやねん」を使った瞬間だったかもしれない。皆が分別せずに全部燃えるゴミにぶち込んでいるところ、わざわざ分別してやったというのに回収せんとは貴様どういうことだ、みたいな感じで割りとキレていた。そして燃えるゴミに分別しなおすのも面倒になり、ベランダに放置したのだった。

 

今思えば随分みみっちい理由で腹を立てたものだ。今なら笑って話のネタにできる気がする。「今朝ゴミを捨てたんだが、リボン付きで返されてしまったよ。噂には聞いていたが、神戸は随分ハイカラな街なんだね、hahaha!」とかデート中の女の子に喋りながら、ムール貝のガーリック焼きを白ワインでクイッといきたい。デートをしてくれる女の子がいなかった。今度一人でやろう、この下り。「いやでもやっぱこのくらいのことでは怒らんよなあ今は。意外と精神年齢が向上したのかもしれん。ナハハ、大人になったではないか自分よ。」と気持ち悪くひとりごちてペットボトルのゴミ袋を持ち上げる。例のごとく風化され尽くした袋がいとも簡単に裂け、数十本のペットボトルが愉快そうに転がり落ちる。おーい、ふざけんなおいコラ。

 

全く向上していなかった精神を引っ提げて、キレ散らかしながらベランダを片付けていく。そしてついに残りのゴミがダンボール1枚になった。またダンボールか。と思ったがなにやら不穏な雰囲気が漂っている。

 

ゴミというゴミに押しつぶされ、日の目を浴びることもなく、空気の循環もない。そんな空間で熟成された1枚のダンボール。ジメっと陰鬱に湿っており、かつては素直な褐色だったその表面は、今はなんとうか、冒涜じみた色で汚染され、この世の悲しみ・不条理・憂鬱・やり場のない怒りを表現した現代アートのような空気感を湛えていた。

 

こりゃあ軍手がいるなあと思いながら、指先が青い粉で汚れた軍手を装着する。先日ビリヤードで使った軍手だ。普通は専用のカッコイイグローブを使うんだろうが、ビリヤードなどという粋なスポーツとは程遠い人間なので、ビリヤードに敬意を払って軍手である。「ブルーカラービリヤード!」とか下らないことを言いながら球を突くのも楽しい。

 

ダンボールをおそるおそるめくる。なんということだ。土壌が形成されているではないか。よくみるとダンゴムシやらトビムシの類いがうごめている。ンヒィ!どっからきたお前ら!4階だぜココ!と声を荒げてしまう。台風で飛ばされた葉っぱかなんかにくっついてきたのだろうか。とにかく、我がベランダの入植者たる彼らが、ベランダのゴミーーー具体的にはダンボール、吸い殻、繊維くず、松屋のレシート、ジャパンのレシート、TSUTAYAのレシート、その他諸々の紙屑ーーーを少しずつ土に変えてしまったのだろう。気持ち悪いが、ちょっと感動する。この生命の匂いを感じないコンクリートの上で、命を育む母なる大地が形成されつつあったのだ。しばらく眺める。なんだか虫たちが健気で可愛らしく思えてくる。私も小学生の頃は虫取り少年だったのだ。突然出てこられるとビビるが、基本的に虫は怖くない。ゴキブリ退治なぞ大得意だ。おお、虫たちよ、ここで静かに暮らしてきたのだろう。黒光りするあの不逞なる虫と違って、誰かを積極的に脅かすわけでもなく。先ほどは少々驚いたが、何、気にすることはない。私が勝手に君たちの住処を覗いてしまっただけのことだ。居心地が良いかね、ここは。ジメっとしていて暗い。そういう所が好きかね。私もその類いなのだよ。陽キャが愉快そうにガチャガチャ五月蠅く飯を食うのを尻目に、私は食堂の隅で、それこそ隅の隅に溜まった、油汚れと誰かが落とした食べカスが集積した黒い冒涜の塊を見やりながら飯を食う!あんなに美味いものはないな、諸君! しかしそれとこれは話が別である。君らがどかんことには我が安寧の洗濯日和はやってこないのだ。強制退去願おう。ここに住んでいいと私が一言でも言ったか?

 

ここは神戸であり、ソドムでもゴモラでもない。だから火と硫黄の雨は降らないが、太古の生命から溶け出でた黒色の液体を生成して創られし緑色の剣が虫どもの街を破壊する。(プラスチック製の緑色のホウキで掃いただけです) このときの脳内BGMはもちろんワルキューレの騎行である。

 

 

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雨水を流すための配管近くまで吹き飛んだ彼らを、私は更にバケツの水を流して蹂躙した。ちと可哀想だが仕方がない。生きるということはそういうことだ。いやほら、彼らもこんな閉鎖空間で過ごしてちゃあ、近親交配やらなんやらで虚弱体質になってしまうかもしれない。もっと広い大地に繰り出すべきだ。

 

虫たちをザッと履いて捨ててから数ヵ月。彼らは元気にしているだろうか。もしかしたらあの中に、運よく下の階のベランダに引っかかった虫がいるかもしれない。それから僅かばかりの土と、己の身体、そしてその強運を資本にして、新たな生活を始めているかもしれない。ひょっとしたら商売に成功して大資本家になっているかもしれない。いや、我がベランダでの様子を見る限り、あれでは暗黒と評される中世ヨーロッパそのものだった。「清貧などという考えは古いのです。お金は貯めてもよいのですよ。そのお金を元手に、綿でも編んで売ったらいかがなものでしょう」とプロテスタンティズムの精神を植え付けておくべきだった。そうすれば我こそがダンゴムシの書く神話に、天啓を与えたもうた知の神として私の名が刻まれたことだったろう。ここは神戸、虫たちの神の戸を開くのは、この私だ。

 

えーと、なんというか、ワルキューレの騎行のURLを張り付けた後に、Youtubeの自動再生でクラシックがずっと垂れ流しになっていたのだが、それを聴きながら書いた部分は随分と大仰になってしまった。やっていることはただの掃除なのだが。

 

今度はもっとぺらっとした話題にします。